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[PR]英国的精神と哲学でプレミアムモデルとして光輝くジャガーブランド 文:武田公実

2016年3月15日

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ジャガーの創始者、ウィリアム・ライオンズ。1956年に王室から叙爵。1972年までジャガー社の会長として在籍

ジャガーは、その源流に相当する「スワロー・サイドカー・カンパニー」として1922年に創立して以来、21世紀の現在に至るまで圧倒的なまでにスタイリッシュなデザインを身上としてきた。

その創造主となったのは、若き日より類稀なるデザインセンスの持ち主だったサー・ウィリアム・ライオンズ。彼は、第一次大戦後のヨーロッパにおいて先鋭的な若者たちの憧れの的となっていた2輪車用サイドカーを、自らのデザインによって製作。安価な価格で成功したのち、4輪自動車のボディ製作にも進出を果たした。

オースチン・セブン・スワロー(1928年)

オースチン・セブン・スワロー(1928年)

持ち前の卓越したデザインセンスに加え、ビジネスのセンスをも兼ね備えつつあったライオンズがまず目を付けたのは、当時の英国におけるベストセラーとなっていた大衆車の傑作オースチン・セヴンだった。1927年、セヴンのシャシーとメカニカルコンポーネンツを流用し、ライオンズ自身がデザインした豪奢なアルミ製ボディを架装したスペシャル「オースチン・セブン・スワロー」が発表される。

1928年には、本拠をそれまでのブラックプールから、現在もジャガーの本社があるコベントリーへと移転。その後3年を経ずして、最初のエンジンを含む全自社製モデルを発表。これこそ、これ以降この種のデザインを世に定着させた「SS」である。

さらに1931年には、専用設計のシャシーに瀟洒なボディを組み合わせたニューモデル「SS1」と「SS2」を発売 。特にスタンダード社製の2.0L/2.5L・6気筒エンジンを搭載するSS1は、ベントレーやラゴンダなど、遥か上のクラスに属する高級車たちをも思わせる豪奢なスタイルとインテリアを備える一方で、販売価格はクラスの常識を超えた安価に設定。その結果、大恐慌直後の不況下にあったイギリスでも、満足すべきセールス実績を挙げ続けられた。

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直列6気筒エンジンを搭載したSS1 (1934年)

さらに1934年には、会社名を「SSカーズ」へと変更し、ライオンズはボディだけでなくエンジンとシャシーなどすべて専用設計としたモデルを新規開発。それまでのSSと区別する意味から、翌1935年9月、「SS」の進化系である「SSジャガー」を発表し、初めて「ジャガー」という名が歴史に登場する。

新生ジャガーは、スタイリングと豪奢な内装に加えて、OHVヘッドで強化されたエンジンと量産効果によるコストダウン戦略の導入で、同時代の高級車に劣らない高性能を遙かに安い価格で実現していた。例えば、同時代に特装ボディを合わせて1500ポンドで販売されていたベントレーに対して、ジャガーにつけられたプライスは約400ポンド。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、手の届く価格で提供するという哲学は、現在まで続くジャガーの基本戦略となるのだ。

ジャガー SS100(1936)

2シーター・スポーツカー、ジャガー SS100(1936年)

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ジャガー100(1936年)


SS 100 (1938年)

SS 100 (1938年)

そしてSSジャガーはこの時期、第2次大戦前最高の傑作車を生み出していた。1935年にサイドバルブ・エンジンに大幅な設計変更を加えてOHV化し高出力を実現させた「SSジャガー 2 1/2L」を発表し、その翌年には2シーターのリアルスポーツカー「SS100」を生産開始している。このモデルは今なお名車として敬愛されているものの、第2次大戦の開戦により生産終了を余儀なくされてしまう。

リーズナブルながら、本物の高級車」

1945年に第2次大戦が終結すると、まずは戦前モデルの再生産から復興を目指したジャガーだが、この時期にウィリアム・ライオンズは、本物の高級車およびスポーツカーメーカーへの脱皮を目指していた。その初の成果となったのが、1948年に発表された戦後初の新型車である「XK120」である。この時代の常識では、レーシングカーないしは超高級スーパースポーツのみの特権と思われていたDOHCヘッドを持つ直列6気筒エンジンを搭載。素晴らしい高性能と、ライオンズの真骨頂である流麗なスタイリング。あるいは性能面で拮抗する同時代のアストンマーティンやベントレーと比べると圧倒的に安価だったことから、大きなヒットを博した。

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XK120(1951年)

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XK140(1958年)


特に、戦後世界最大のスポーツカー市場となった北米での人気は凄まじいもので、50年代には発展モデル「XK140」および「XK150」も登場。戦前からの系譜を受け継ぐ大型サルーンとともに、高級車ブランドとしての地位を順当に獲得してゆく。

一方、真の高級ブランドとしてさらなる認知を得るためには、モータースポーツでの実績が必要であることに気づいていたジャガーは、50年代初頭からレースに進出。その最初の成果となったのが、自動車史上初めて4輪ディスクブレーキを実用化した「Cタイプ」。1951年と53年のル・マン24時間レースで総合優勝を果たした。また航空機テクノロジーを巧みに生かした後継車「Dタイプ」はさらなる成功を収め、1955-56-57年にル・マン三連勝を達成。この活躍から、ジャガーの名声は世界中に轟くことになったのだ。

Cタイプ

Cタイプ (1951年)

Dタイプ(1954年)

Dタイプ(1954年)


この時期のジャガーは生産車部門でも絶頂期を迎え、1959年に「スポーツセダン」というジャンルの世界的開拓者として知られる「Mark Ⅱ」を発表。そして、1961年にはスポーツカーの歴史的傑作、現代のFタイプもオマージュを捧げる「Eタイプ」もデビューさせるなど、素晴らしいヒット作を続々と送り出してゆく。

スポーツセダン、マーク2(1958年)

スポーツセダン、マーク2(1958年)

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伝説のEタイプとウイリアム・ライオンズ(1961年)

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Eタイプのコクピット(1961年)

Eタイプ・コンバーチブル(1968年)

Eタイプ・コンバーチブル(1968年)


ところが1960年代後半になると、英国の経済情勢は急速に悪化。そんな中、既に老境を迎えていたライオンズは、企業体制の強化を模索していた。そして66年には、英国最大の民族資本系グループだった「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)」と合併を決定。その後もジャガーは「XJ6」のようなヒット作を生み出していたが、ジャガーを取り巻く状況はさらに悪化。親会社となったBMCは他ブランドの販売不振により、グループ全体があっという間に破綻寸前へと陥ってしまうのだ。

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1968年に登場したXJ6 (1973年モデル)

この事態を重く見た英国政府は、もう一つの民族資本系コングロマリットである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決定。新たに「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」の一員として、ジャガーも再起を図ることになった。

しかし「英国病」と呼ばれた、1970年代にはさらなる窮状に陥り、慢性的なクオリティ低下に悩まされることになる。そこで1980年になるとジャガーは社外からジョン・イーガンを招聘し、新たな会長兼マネージング・ディレクターの座に据えた。イーガンは停滞していた生産体制や経営の改革に着手し、幹部社員の家族まで説得して作業員の意識アップに成功。見事な復活を遂げることになる。

シルクカットカラーのXJ9 (1988年)

シルクカットカラーのXJ9 (1988年)

ジャガーの復活はビジネスだけに留まることなく、1980年年代に入り、トム・ウォーキンショー・レーシングとパートナーを組みプロトタイプ・マシーンのレースへの参戦を決定。1987年には世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)で1戦を除くすべてに勝利し、「XJR-8」とともに年間タイトルを獲得。さらに1988年には「XJR-9」とともにル・マン24時間レースで31年ぶり6度目の総合優勝も達成。サーキットでも往年の名声を取り戻すことに成功した。

そして、驚くべき勢いで向上していたジャガーのブランドイメージに目を付けたのが、北米の巨人フォードである。1989年、フォードはジャガーの株式の一部を、その翌年に全株式を保有しジャガーを買収。時期を同じくして買収されたランドローバーやボルボなどとともに、フォードの高級車部門「PAG」グループの一角に収まることとなった。

「新たな黄金時代」

フォードPAG傘下時代に、ジャガーは新たなデザインリーダーを迎えることになる。現在もデザイン担当ディレクターの地位にあるイアン・カラムである。カラムは自身が熱心なクラシックジャガー愛好家ながら、単なるレトロ趣味に堕することのない新しいデザイン言語を確立。2002年の「XK」を皮切りに、初代「XF」や現行「XJ」など、スタイリッシュ極まるモデルを続々と生み出す。

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チーフ・デザイナーのイアン・カラム

ところが順風満帆に見えたジャガーは、再び親会社の興亡に巻き込まれてしまう。2000年代後半に入り、デトロイトのビッグ3全社を襲った経営危機のため、フォードはPAGブランド各社を手放すことを余儀なくされたのだ。そして、2008年3月をもって、ジャガーおよびパートナーたるランドローバーは、インドのタタ・タタ・グループの傘下に収まることになった。

しかしジャガーにとってラッキーだったのは、タタ・グループが理解ある親会社となったことだろう。タタはジャガーの自由裁量を最大限に尊重し、新生「ジャガー・ランドローバー」は、まったくフリーハンドで魅力的なモデルたちを生み出すことになるのだ。

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インドのタタ財閥の総帥、ラタン・タタ(手前)と、2010年当時にジャガー・ランドローバーグループのCEOに就任したカール・ピーター・フォースター

このような状況のもとに誕生したのが、名作「Eタイプ」の再来とも言うべきピュアスポーツカーの「Fタイプ」。あるいはアルミ軽合金を主体としたモノコックを持つ意欲的なニューカマー「XE」および二代目「XF」である。さらに、ジャガー初のパフォーマンスSUVとなる「F-PACE」も登場し、既に世界的な注目を集めている。

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「英国病」が蔓延した1960年代以来、イギリス伝統の自動車メーカーの多くは失われてしまった。特に高級車ブランドには厳しい事態となり、かつてはジャガーよりも上級とされていたアルヴィスやライレー、アームストロング・シドレーなども、自動車業界から姿を消して久しい。そんな中にあって、今や英国王室から三つの「ロイヤルワラント」を授与されたジャガーは、ウィリアム・ライオンズ以来の企業哲学を守るとともに、イアン・カラム率いるチームのデザインによる美しくて高性能なクルマ創りに邁進している。

ジャガー的、あるいは英国的な精神とフィロソフィーを堅持し続ける限り、ジャガーはドイツ車が幅を利かせるプレミアムカー市場においても、素晴らしい輝きを放ち続けるに違いないのである。

 

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