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【舘さんコラム】2020年への旅・第16回「充電の旅シリーズ16スーパー・セブンに聞け第14話」EV大国ノルウェーの怪

2015年2月2日

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この日の朝、日本一周急速充電の旅のEVスーパーセブンがパドックに入った

2014年10月14日、筑波サーキットで第19回日本EVフェスティバルが行なわれた。朝、日本一周急速充電の旅のEVスーパーセブンがパドックに入る

ノルウェー王オーラス五世
エッジ舘野は、ノルウェーの電気自動車事情の視察をするというMr.舘内を追って、シュツッツガルトからノルウェーに飛んだ。

オスロ空港に降り、市内行きのバスに乗った。だが、空港で換金するのを忘れていた。ノルウェーの通貨はユーロではない。ノルウェー・クローネだ。エッジ舘野がバス代が払えず、弱った顔をしていると、熟年の紳士が現れ、親切にも「私が換金してあげましょう」という。そして、「少々、手数料が高いですよ」と加えた。

しかし、顔が笑っていた。冗談だった。
「私はニールス・アーベルと申します。ノルウェー王のオーラス五世のひ孫にあたります。Mr.舘内に頼まれて、実はあなたをお迎えに上がったのです」

エッジ舘野は「助かった」と思った。オスロは初めてであった。もちろんノルウェー語は「God morgen」くらいしか知らなかった。それでも、「ノルウェー王のひ孫」というのは、冗談だとすぐに気づいた。いまごろバイキングが生きているわけがない。

オスロ駅までのバスの中で話したことをまとめると、ニールスはノルウェーのEVクラブの代表で、ニッサンテスラ、その他、EVを販売するディーラーと協力して、EVの普及促進をしているということであった。ノルウェーのEVのことならなんでも訊いてくれという。

Mr.舘内とは、1999年にカリフォルニア州アナハイムで開かれた“EVクラブ・ワールドミーティング”で知り合ったという。各国のEVクラブの代表者が集まり、EVの普及について討議したミーティングであった。それ以来の友人ということだから、かれこれ15年からの付き合いということになる。

グランドホテルで授賞式
高速道路で、バスは何台ものリーフテスラ・モデルSに抜かれた。バスの前にリーフ、そして後ろにもリーフがいた。ニールスのいうとおり、ノルウェーはEV大国であった。それもそのはずで、ノルウェーのEVの半分がオスロ市に集中しているのだ。

40分ほど走ると、オスロ駅に着いた。宿泊先のグランドホテルは、そこから歩いて10分ほどであった。工事中の道を路面電車の線路に沿って歩くと、大きな通りに出た。カール・ヨハン王宮通りである。明治神宮の表参道の2倍はある。両側に並木が続く。そして、ゆるい上り坂の頂点にノルウェー王宮があった。ハーラル(ハロルド)五世とソニア王妃がお住まいになる。ノーベル平和賞の授賞式は、毎年ここで執り行なわれる。

王宮と対面した形でノルウェー国会議事堂がある。日本のそれに比べるとずっと小さい。しかも厳重な柵があるわけでも、守衛が立っているわけでもない。石作りの少し大きな建物が、ごく自然に街の中に建っている。オスロという町の風景に溶け込んでいた。

ノルウェーの人口は、たった500万人である。国会議事堂は、そんな小さな国に似合った大きさであった。

北欧三国は、ノルウェーといわずスウェーデンもデンマークも、日本に比べると人口はずっと少ない。そして、良く知られているように税金は高いが福祉が厚い。そして、環境保全意識も高く、優れた民主国家である。MR.舘内が言うように、国には適切なサイズがあるようだとエッジ舘野は思った。

国会議事堂の斜め前に、カール・ヨハン王宮通りに面してグランドホテルはあった。1874年から営業している老舗中の老舗ホテルである。宿泊したノーベル平和賞の受賞者が、受賞の翌日にベランダから市民に手を振るという。

カウンターに向かう。決して豪華ではないが、使われている調度品や柱の大理石には、130年余りの歴史が刻まれ、黒光りしていた。並みのホテルではないことがうかがいしれた。カウンターと向かいの壁にかかるポスターにふと目をやると、「バラク・オバマ大統領御宿泊」と書かれていた。そういえばオバマ大統領は平和賞を受賞したはずだ。

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19回目のプログラム デザインはいつも同じデザイナーさん

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EVフェスティバルの開会式は朝8時から 朝の空気が気持ち良い

 

ブラッセリー・ムンクと新太郎
チェックインを済ませて街へ出た。といってもカール・ヨハン王宮通りを渡って向こう側のブラッセリーに行き、Mr.舘内と会うだけではあったが。

ノルウェーの世界的な画家であるムンクがよく通ったというそのブラッセリーは、路面電車の線路に面していた。ここも古い。コーヒーと料理の味が染みついて、来る者をほっとさせる空気が漂っていた。

窓際の席に座る。窓の外を通る古びた路面電車。手入れの行き届いた花壇。ここが一番落ち着ける席だとエッジ舘野は思った。すると、ニールスが、「さすがですね。ここはムンクが好んで座った席ですよ」といった。初めてのブラッセリーで、町の様子もわからず、よくもまあ最上級の席を嗅ぎ分けたものである。

エッジ舘野は、その席をMr.舘内に譲ろうと、反対側の席に座った。コーヒーと、ムンクの「叫び」がチョコレートで描かれたケーキを注文した。これで日本円にして4000円である。世界一物価が高いといわれるオスロの物価であった。

10分もするとMr.舘内が現れた。連れがいた。中肉中背の40代半ばの学者風の男であった。片山新太郎といった。訊くとスウェーデンの著名な大学でコンピューター解析のプログラムを研究しているという。

片山は、博士号を取るべく筑波の大学で学んでいたころ、Mr.舘内に誘われて、EVのイベントのネット系のすべてをプログラミングしていた。2001年当時に、屋久島と大磯をネット中継できたのも彼のプログラミング能力が高かったからである。中継のプログラムは彼の手作りであった。

それ以外にも、EVの駆動力制御のプログラムと装置も作っていた。Mr.舘内の要請だったが、その装置を搭載した電気カートは、筑波サーキットのコース2000を1分4秒で周回した。EVのコースレコードであり、未だに破られていない。

片山新太郎は、だれにも負けないEVの超オタクであった。久しぶりにMr.舘内に会いたいと、スウェーデンから駆けつけたのだ。こうした天才肌の超EVオタクによって、日本EVクラブは支えられてきたのだが、一部では、「日本EVクラブはまるでサテアンだ」「宗教団体だ」と騒がれた。

それらは大いなる誤解としても、熱狂的なEV集団であることは確かだ。しかし、沈鬱な現代の日本で、さらに軽自動車だらけで面白さの欠けた自動車マーケットで、熱狂する集団は珍しい。いまや、EVは情熱を傾けられる数少ない自動車になっている。

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大会委員長のMr.舘内。ジジイだが、顔に勢いがある

 

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